カルマ ~自由意思だと思ったらカルマだった

自由意思とカルマ

 

 

予言とカルマ

 

カルマとは自身の過去世の集積ですが、因果律ではないということをこれまで書いてきました。人生はあらかじめ決められたシナリオであるとおっしゃる方もおられますが、そういう話でもありません。

私が子どもだった頃、ノストラダムスの大予言が大流行しました。1999年7月に人類が滅亡するか否かでいくつものテレビ番組が放送され、書籍はベストセラーになっていました。人類が将来、滅亡するか否かは分かりませんが、個人的にはあらかじめ決まった未来を生きるのは味気ないと感じます。

結局、今も人類は滅亡していないのですから、予言は外れたということになるのかもしれませが、かといって人類は滅亡しないと保証されたわけではありません。

予言の最大の欠点は、時期を指定することです。時期を指定することによって、当たるか外れるかということだけに目がいってしまい、物事の本質がどこかに消えてしまいます。かといって、いずれそうなるでしょうでは、誰も相手にしないでしょう。

じつはカルマもこれとよく似ています。つまり、予言すると当たらないけれども、いつかそうなるというのがカルマの性質です。

 

 

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予言できないから恐ろしい

 

人がこの世に生を受けた時、誰でも必ず赤ちゃんから始まります。両親から大切に育てられ、祖父母からは目に入れても痛くないとばかりに愛情を注がれたとします。

それでも、その子に人を殺したくて仕方がないという心情が潜んでいて、それが将来浮いてくる確率が高い環境であれば、どんなに大切に愛情いっぱい育てたとしても、必ず人を殺します。

ただし、いつ殺すのかは分かりません。いずれ殺すだろうと分かっているのはその子の守護霊だけです。守護霊は地上に生まれた子の過去世を調査していて、人を殺したくなる心情を持っていてこのままいけば浮いてくることを予測しています。そして、本来はそうなる前に何とか対策を打ちたいと考えています。しかし、本人は霊魂を信じていない、守護霊に助けてもらいたいとも思っていないのであれば、本人の自由意思によって守護霊は何もできません。

そうなれば守護霊の支援は受けられません。ならば、必ず人を殺すのかといえばそれは分かりません。つまり、この心情が浮いてくる確率は高いけれども、必ず浮いてくるのかどうか、それは何時なのかを正確に予測することは誰にも出来ません。

 

 

霊的状況は常に変化している

 

私たちが生きているということは、この世にさまざまな霊的な変化を与えています。霊的環境に変化を与えるのは人間だけではなく、地上の世界に関与する霊魂も変化を与える要因です。

仮に人を殺したくて仕方ない心情が浮いてきた人がいたとしても、今日殺そうと思って街をうろついていたら、たまたまそこで事故があったようで警察官がいっぱいいたので止めましたというように、その人にとって予期せぬ事態が起こったために今日は人を殺さなかったということはありえます。

しかし、この心情が浮いている限り、いつか必ず殺すことになります。

カルマとはそういうものです。時期を指定すると本質を見誤ります。予言すると失敗しますがいずれ起こるものがカルマであり、そこにはさまざまな要素が絡みあっているのです。

 

 

表面の心を変えてもカルマは消えない

 

表面の心は、ふだん私たちが意識できる領域です。言いかえれば、今、何を思い何を考えているのかが認識できる部分です。

しかし、カルマは私たちが意識できない領域にあります。ですから、表面の心を如何に教育しても叱りつけてもカルマを変化させたり消したりすることはできません。

表面の心はなぜかむしゃくしゃしているのですが原因が分からないという場合、心の奥で何かの心情が浮いてきている可能性があります。

それが、日常生活に影響を与えるようになります。クルマを運転すればアクセルを踏まずにいられない気持ちになります。仮にスピード違反で捕まって一時的には収まったとしてもすぐに元に戻ってしまいます。それがエスカレートしますと、前を走っているクルマがノロノロしているとか運転の仕方が気にくわないという気持ちが出てきて更にイライラするようになったとします。

この運転者は他のクルマを煽ることが日常になるかもしれませんが、捕まらなければ法で裁かれることはありません。いずれ事故を起こすかもしれませんが、それが何時かは分かりませんし、もしかしたら事故を起こさないかもしれません。

周囲の人が乱暴な運転を止めるように言ったとしても、警察から違反切符をもらって罰金を払ってもそれで変化させられるほどカルマは軽いものではありません。

乱暴な運転をしていてもそこにたまたま他のクルマや人がいなければ人を殺すことはありません。しかし、同じことを繰り返していれば人を殺す確率は安全運転している人より高くなるのは確実です。

ただし、交通事故の加害者がすべてカルマのせいで事故を起こしているわけではありません。安全運転していても、酔っ払いが道のまんなかで寝ていれば轢いてしまうことはあります。

カルマであろうとなかろうと人は不幸になることはありますので、それならカルマなんてどうでもいいじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは違います。

カルマは人を不幸に引っ張る心理ですので、ないに越したことはありません。皆がまったく同じ条件で何かしらの競争をして負けたのならまだしも、じつはカルマがある種のハンデになっていて初めから負けることが決まっていましたと言われたら、とても不条理だと感じると思います。自分のあずかり知らぬ部分のせいで初めから負けることが決まっていたなんて、普通は誰でも嫌でしょう。

カルマは人を傷つけるだけではなく自分自身を傷つける場合もあります。過去世で子どもが生まれて必死に子育てしたのに亭主に浮気されてとても辛い思いをした人生があったとすれば、今回の人生で子どもをつくることを避ける人生を選ぶかもしれませんし、夫婦仲が良かったのに子供ができた途端に亭主に対して何かにつけて猜疑心を抱いてしまうかもしれません。

どんな人生を送ろうと個人の自由なのですが、カルマのせいで人生の方向性が決まってしまうことはできれば避けたほうがいいと思います。

カルマへの有効な対策は、私が知る限り水波霊魂学の霊的技法しかありません。