【水波霊魂学】現代人と祈り(5)
祈りは霊魂に届くのですが、特に高級な霊魂に届けようとする時には大きく2つの条件があります。
一つは思いが高級霊魂に向いていること、もう一つは幽体が静止していることです。
まず、思いが高級霊魂に向いていることについては、前回の記事で既に触れましたように、人間の側が『求める』気持ちがなければ高級な存在は何もできないということです。
つぎに、幽体が静止していることについてですが、人間は肉体と幽体が重なっていますが、人間は寝ている時以外は、何かしら活動していることが多いと思います。
歩いていたり、手を使って作業をしていたりすると、幽体が肉体の動きと同じように動いています。
そうして肉体の動きが大きければ大きいほど、霊魂から人間の幽体をしっかりと認識することが難しくなるのです。
したがいまして、この2つの条件を満たした上で、高級な霊魂の配下で地上の世界で活動している霊魂に自分の思いが届くようにすることが第一歩となります。
そして、このブログでも何回か書いていますが、瞑想が高級な霊魂との交流の手段としては何の意味もないどころか、極めて危険な行為であるという理由がここにあります。
瞑想は肉体が静止してますので、幽体も静止しています。
そういう意味では上記の条件の一つは満たしています。
しかし、瞑想中は何も考えないとか別の何かに気持ちを集中してしていることが多く、思いを高級な霊魂に向けながら瞑想している人はほとんどいないと思います。
したがって、高級な霊魂に思いは届きませんが、ここで大問題なのは幽体が静止していますので他の霊魂からは視覚しやすくなっているということです。
これは霊的には危険な状態です。
仮に瞑想している場所に不道徳な霊魂が出入りしていると、彼らが興味を示すことがあります。
肉体は何も分からず座っています。
彼らの中の一人が、こちらに近づいてきました。
それでも肉体は何も分からず座っています。
しかし、肉体とくっついて離れられない幽体は気づいていました。
とても恐ろしい霊魂がこちらに向かって近づいてきていることを。
幽体は恐怖に震えているのでした。
それでも、肉体は何も分からずにそこに座り続けていたのでした。
<参考文献>
『たましいの救い』水波一郎著