不作為 は不信感につながるということ

不作為

 

 

不作為 とは

 

ふさくい【不作為】
①気がきかないこと。工夫がないこと。
②人があえて積極的行為をしないこと。消極行為。作為に対する語。
(『精選版日本国語大辞典』 小学館)

 
「不作為」という言葉は、法律用語として使用する場合は若干ニュアンスが異なるかもしれませんが、一般的に使うとすれば上記の意味で使います。

「不作為」とは、何もしないという意味ではなく、行為そのものは行いますが、積極性がないとか、思慮不足、配慮不足だという場合に用いる言葉です。

 
さて、この「不作為」の例を身近で探すと、ある特徴があるように思えます。

それは何かと言いますと、行政府や立法府と国民との関係でたくさん発見できるということです。

 

 

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不作為 だと感じる例

 

その1:住基ネット

現在マイナンバーカードというものが発行されていますが、住基ネットはどこにいったのでしょう?

2002年に稼働した住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)は、2015年12月にマイナンバーカードの発行に伴い、住基カードの発行を停止しました。住基ネットには、システム構築費用(初期費用)に約400億円、維持費として毎年約130億円の税金が投入されました。ちなみに住基カードの普及率は約5.5%だそうです。

私は初めからマイナンバーにすれば良かったのにと思いました。

 

その2:ブラック企業対策

違法な長時間労働を繰り返したとして、厚生労働省は今月19日、千葉県の棚卸代行業者に是正勧告を行なったと発表しました。違法な長時間労働を繰り返す企業名を行政指導の段階で公表する新基準が昨年5月にできており、今回初めて公表されました。

1年でたったの1社です。それも基準を見れば分かりますが、対象を絞りに絞っています。
例えば、「社会的に影響力の大きい企業」でなければなりません。さらにはその企業が複数の都道府県に事業場を持っていたり、中小企業に該当すると対象外になってしまいます。

ちなみに、2016年版 中小企業白書概要をみますと、我が国の企業の99.7%は中小企業です。

電通で発生した過労自殺の件についても、あれだけ叩かれれば電通は変わるかもしれませんが、他社から見ればそれはあくまで対岸の火事にすぎません。また、労働時間の論議だけに終始している感が強く、残業時間だけを減らせば問題はすべて解決するかのような流れにしようとしていますが、ビジネスパーソンの大半は現在の国の施策が解決に繋がらないことに気づいています。

解決しない施策で幕引きをしようとすることを「現場を知らない」のか「不作為」なのか私は知る由もありませんが、そこに残るのは不信感だけです。

 

その3:ストーカー対策

東京・小金井市で芸能活動をしていた女子大学生が刃物で刺された事件がありました。

報道によりますと、被害者の女子大学生と母親は事件の約2週間前に警察に相談に行きましたが、警察は緊急時案ではないと判断しました。

被害者は事件が起こった日に芸能活動を行う予定だった会場を警察に事前に知らせていました。そして、その時の警察の対応は「何かあったら110番してください」だったそうです。加害者を見つけた被害者は指示された通りに110番をしましたが、被害を防ぐことはできませんでした。
ストーカー対策に対する警察の不適切な対応(被害者からの110番通報の事実を当初隠していたように見えたことや、被害現場ではなく被害者の自宅に急行したことなど)は今に始まったことではありませんが、問題の本質はそこではありません。

ストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)は1999年に起こった「桶川ストーカー殺人事件」を契機に翌2000年に成立しました。それから16年経ちますが、私はこの種の事件の減少を感じたことはありません。

今回の事件を受けて、2017年1月から改正ストーカー規制法が施行され、規制対象範囲の拡大や罰則の強化、非親告罪化がなされましたが、まだまだ実効性に関して疑問が残ることろです。

警察は法の許す範囲でしか活動できません。警察への相談があった時点で、心理職や精神科医とのネットワークがあれば、警察は違法性があるか否かの捜査に専念できますし、加害者側の精神的な予防的措置が法律に明文化されていれば防げる犯罪は多いと思っています。つまり、警察の対応以前に法律や施策自体に大きな穴が開いていると言わざるを得ません。

 

 

政治家は不信感を払拭してほしい

 
繰り返しますが、「不作為」とは、何もしないことではないのです。行為をしても積極性なし、思慮不足、配慮不足だということなのです。

国の行政府の長ならびに立法府にいるのは、政治家と言われる方たちです。

 
彼らは「あれをした」「これをした」と言い続けないといけない職種の方であることは分かっていますが、私は、どうしても彼らに対して「不作為」を感じてしまうのです。特に国民生活に直結するような案件に対してそれが顕著であるように感じます。

 
政治家は自らの票に繋がらない事柄はやる気がないのかどうかは分かりませんが、少なくとも今回、例に挙げた3つだけでも「きちんとやっています」と本当に胸を張って言えるのか聞いてみたいものです。

 
昨今の政治に対する国民の不信感というものは、不作為というものが原因になっているのではないかと考えています。政治に携わる方はそのあたりを今一度考え直していただきたいと切に願います。