キャリア形成
日本国民は、憲法で公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を保障されています。
これ自体は素晴らしいことなのですが、現代のように社会環境や経済状況が急激に変化し続けたり、自国の利益だけを追求できないような時代は、文字通り一寸先は闇、明日のことすら予測のつかない不透明な状況になっています。
このために、封建社会のように自分の人生を他人や組織に任せきりにできるわけはなく、自分の人生をどのように構想して実行していくか、あるいは変化に対してどう対応するべきかについて、各々が答えを出さなければならない状況となっています。
とはいえ、十代の頃からこれから死ぬまでの人生全般のキャリアを組み立てることなど不可能です。しかし、ある程度の方向性を見出しておかないと、何か起こった時に立ち往生してしまいます。そのために昨今は学生に対するキャリア教育の重要性が認識され、実際にそのような教育も幅広く行われるようになっています。
ただ、キャリア形成をする側の学生たちが、それらの柔軟度についてどの程度認識しているかについては問題となるところです。
つまり、自分が就くのはこの職業だとあまりに極端に狭めてしまうと、何か起こった時に修正が効かなくなってしまう恐れがあります。
世の中にはキャリアコンサルタントと言われる職業の人がいまして(私もそうですが)、学生のキャリア相談や就労希望者への相談業務を行なっています。
キャリアコンサルタントはそのあたりの注意点についての学習と実践はしているはずなので大丈夫だと思いますが、問題なのは例えば親や周囲の人たちに職業を決めつけられたり、逆に本人が自分の進む道はこれしかないと思い込んでしまう場合です。
その場合は、まるでその職業に就くためだけに生きているような状態になってしまいます。
仮にある職業に就くために必死に勉強しているAさんと、職業はまだ絞り切れていませんが同じように必死に勉強しているBさんがいたとします。
AさんとBさんは○○大学を受験しました。2人は傍から見れば同じ受験生ですが、実際は違いました。Aさんの志望動機は自分の目指している職業に就くためにはこの大学しかない、Bさんの志望動機は高校の進路指導の先生と親との三者面談でBさんの実力ならこの大学と決まったからでした。
試験の結果、AさんとBさんはともに不合格でした。二人とも必死に勉強してきたのでとても悔しい思いをしています。
でも、AさんとBさんはやはり違いました。
Bさんにとっては、○○大学は志望大学の一つであり、不合格なら別の大学に合格できるように頑張るという選択肢があります。しかし、Aさんにとっては○○大学合格がすべてでした。
Bさんは柔軟に軌道修正できるでしょうが、Aさんは困難でしょう。自分の思い込み、あるいは周囲の圧力、これらがAさんの選択肢をどんどん狭めてしまっているからです。
もちろん、仮にAさんが○○大学に合格していたとしても、その後の人生が順風満帆で幸せに満ちたものになる保証はありませんし、仮に心を切り替えて別の大学に進学したとしてもそこで素晴らしい出会いがあったりして結果的に自分の夢を叶えられるかもしれません。
ですが、今まさに○○大学を不合格になって意気消沈しているAさんとBさんに対して、かける言葉は同じではありませんし、できるアドバイスも異なります。
通常であればこうするべきということも、個人の事情によっては当てはまらないことも出てくるのです。
そうなると、キャリア形成と言いましても、一人一人の事情によって違うので、同じような個人特性を持っていたとしても、同じ結果にはなりにくいということになります。
キャリア形成とは幸せになるため、成功するための道だと勘違いせず、変化に対応できるようになるために自分の特性、潜在能力、希望・動機を常に自問していく過程であり、それは一生続いていくものであるということが共通認識となることが望まれます。