この世を生きるための霊術 ~ 人生を棒に振る 前に
幽体の心が自己主張を強める時、 人生を棒に振る 危険が高まる
私たちは肉体だけでなく幽体という霊的身体が重なっているというのが水波霊魂学の主張です。
幽体はまるでゼリー状の物のように、肉体のあらゆる部分に重なっています。したがいまして、生きている人間の幽体は肉体とまったく同じ姿かたちをしています。
当然ながら、肉体の脳にも幽体が重なっていますので、その部分は幽体の脳といえます。肉体に心があるように幽体にも心があり、これらは常に一致しているものではなく、たいていはまったく別のことを感じたり主張したりしています。
肉体の心は、子どもの頃から教育を受けたり、周囲との付き合い方を体得したりして、理性と呼ばれる道理に従って判断したり行動したりする能力を身につけていきます。
一方、幽体の心は肉体の陰に常に隠れている存在です。肉体の脳が教育を受けていても、親や教師に叱られていても、自分が叱られているわけではありませんので、叱られていることは理解できてもどこか他人事といった感があります。
ですので、肉体の心と幽体の心がある出来事に対して全く別の反応を示したり自己主張をしたりすることは珍しいことでも何でもありません。
この世での生活を送れば、誰でも嫌なことがあったり、怒ったり悲しんだりすることはあります。そんな時に肉体の心が理性をきちんと機能させていれば、失敗することはないかもしれませんが、何かの拍子に肉体の心の意識レベルが低くなって、幽体の心が表面にぐっと浮き上がってきますと困ったことになりかねません。
幽体の心は非常識なのが当たり前
幽体の心には肉体の心のように理性がありませんので、この世では非常識だと思われるような自己主張を平気で行ないます。
例えば何かが欲しいと思った時でも肉体の心は「今、ここでお金を使ったら給料日まで持たないから今回は諦めよう」とか、酒が飲みたいと思った時でも「最近飲み過ぎだし、私は酒に酔ったら周囲に迷惑をかけてしまうタイプなのでやめておこう」などといろいろ思っています。
しかし、幽体の心は肉体の心のように理性も常識もありませんので、欲しいものはいま欲しい、飲みたいものはいま飲みたいとストレートに主張します。
それでも肉体の心が強ければ心の中に渦巻く「悪魔の囁き」を撃退できるかもしれませんが、人間はそんなに強くありません。気分が落ち込んだりした時には悪魔の囁きに負けてしまうことがあります。
そして、運が悪ければ人生を失敗することになります。
さらに、幽体の自己主張は一つとは限りません。一つでも大変なのにこれが複数あった時、あの時はこんな失敗をしてしまった、この時はこんな失敗をしてしまったと、それが自分の弱さであると思い詰めていきますと、自分を保って生きていくということがだんだん難しくなっていきます。
酒を飲むのは控えようと思っていても、結局は誘惑に負けて飲んでしまいトラブルを起こしてしまったり、あの人は一言多いのは分かっているのでカッとならないようにしようと思っていたのに、我慢できずに言い返してしまってトラブルになってしまったということが続きますと、自分に安心できなくなってしまいます。また何か仕出かすのではないと思って精神的に追い詰められたりして、心が混乱したり不安定になったりします。
幽体の心を落ち着かせる方法
幽体は物質的なアプローチでは何の効果も上げられません。幽体はあくまで霊的な身体ですので、当然ながら霊的なアプローチが必要となります。
それは、契山館の会員であれば神伝禊法や神伝鎮魂法といった霊的な技法を欠かさず行なっていれば良いですし、非会員の方であれば霊的な技術(霊術)を行なえば一時的にでも効果は上がります。
幽体は幽気と間気という2つの気が大切になります。間気という気は幽体と肉体を接着するための気ですが、同時に幽体自体に霊的な活力を与える気でもあります。
間気は幽体が作り出していますので、幽体の状態が良くありませんと間気が不足してしまいます。それを霊術を行使して間気を増やしてやることによって霊的な活力を取り戻します。
そして、幽気という気を幽体に流してあげることによって、幽体の状況を健全にします。幽体が健全になれば幽体オーラという物資でいう光のようなものが大きくなっていきます。
余談ですが、水波霊魂学でいうオーラは一時期流行ったオーラの色がうんぬんといったものとは全く違います。あくまで幽体から発するものですので当然ながら目には見えませんし、物質の機械で計測できるわけでもありません。ましてや、物質の色などありません。
幽体に霊的な活力を与え、幽体自体が健全になっていきますと、幽体の心が安定していきます。そうしますと、心の中で渦巻く悪魔の囁きもだんだん抑えられますので、肉体の心が楽になっていきます。
ただし、肉体の脳には記憶というものがありますので、幽体の心が変化しても肉体の脳が覚えていれば、ある日突然、心が楽になるということはありません。しかし、悪魔の囁きの正体が幽体の心であることが理解できれば、自己の意識にとってマイナスな部分は確実に小さくなっているわけですから、あとは肉体の心のケアに専念できるというわけです。
私たちは表面の心だけで生きているのではない
私たちは表面の心(肉体の心)だけで生きているのではなく、心のずっと奥にまったく別の心(幽体の心)を持っています。
昨今、薬物依存や酒席の失敗でバッシングを受けている有名人の方が続出していますが、表面の心だけを教育して何とかしようとしても、原因が心の奥にある場合は何の解決にもならないことがあります。表面にメッキを貼っても心の奥から突き上げるような激しい自己主張を放置していれば、再び同じ穴に落ちてしまいメッキはいとも簡単に剥がれてしまうのです。
心のメカニズムは科学でも解明できていません。何かの失敗を犯してしまった時に、その原因が心の奥にある別の心だった場合、それを知らないで「弱い人間だ」とか「こんなことをするなんて人間失格だ」と責めることは簡単ですし、失敗をした本人も激しく落ち込んでいるでしょうし、自己嫌悪を抱いているでしょう。
しかし、本当の理由を知らないまま、自己嫌悪しても何のプラスにもなりませんし、それで人生を棒に振ってしまえば、これは悲劇以外の何物でもありません。
多くの人が「人間は表面の心だけで生きていない」ということを知ってほしいと思っています。