カルマ ~今回の人生でもカルマを生産している
今回の人生でも『 カルマを生産 』している
これまでの記事では、カルマとは過去世での行為の集積であると述べてきました。それは肉体と重なっている幽体が何回もこの世に再生しているからです。幽体には肉体とは別個に意識があり、肉体の心、すなわち表面の心(顕在意識)と無意識の心のさらに奥深くに隠れています。
今回の人生で肉体と重なっている幽体は同じ経験を共有しますが、その経験に対する評価が一致しているとは限りません。表面の心は結婚したいと思っていても幽体の心は結婚どころか嫌悪しているかもしれません。
生活していく上で、常に肉体の心が物事をきちんと判断している場合ばかりではありません。無意識に何かを決定している場合も多々あります。幽体は過去世での好みや価値観をそのまま今回の人生に持ち込んでいます。仮に過去世のある心情が表面の心に影響を与えていますと、何となく物事を判断している場合に心の奥の衝動をそのまま表現してしまう可能性があります。
その結果、新しいカルマを生産してしまうことになるかもしれません。理性が働いていれば起こり得なかったことが、酒に酔っていたからとか何となくイライラしていたことで感情を爆発させてしまい、それが今回の人生で味わった辛い出来事として幽体に刻み込まれていきます。
今というのは「瞬間」であり、すぐに「過去」になります。今回の人生を数十年過ごしていた間に起こった辛い出来事や悲しい出来事は既に「過去」のものであり、私たちはカルマを生産し続けているわけです。
カルマの解消に向けて
カルマは心の衝動であり欲望でもあります。
カルマをきちんとコントロールできなければ、時期は分かりませんが必ずカルマに引っ張られる結果になります。
カルマを解消することは簡単なことではありません。心の衝動はその元となった出来事とその評価を消してしまうということですので、そんなことは本来は無理な話なのです。
しかも、幽体と肉体にはそれぞれ心があって、それぞれが別々に意識活動をしていますので、一つのアプローチで全部解決できるわけがありません。
カルマといっても、人によってどのようなカルマを背負っているのか分かりませんし、重いものも軽いものもあるでしょう。したがいまして、カルマへの対処方法は肉体と幽体で異なります。
幽体へのアプローチ
幽体がどんなカルマを持っているのかを知るには、過去世を調査してどの心情が影響を強めているのかを突き止める必要があります。その上で、契山館の会員であれば霊的修行法のどれを優先して行なえばいいのかを知り、実践すれば幽体の衝動を和らげたり、カルマが軽いものであれば消えてしまうかもしれません。非会員の方であれば霊術といった方法もあります。
肉体は脳が心そのものであり、その他の器官は脳の命令で活動していますが、幽体はそのようにはできていないようですので、幽体が活性化すればその心情も和らいでいくようなのです。したがいまして、霊的修行法をきちんと行ったり、霊術で一時的にも幽体を活性化することでカルマそのものを和らげることができます。
カルマは心の奥に沈んだままでは解消できないようで、バケツの水を底からかき混ぜるようにある程度表面に浮かせる必要があります。霊的修行は底から浮いてきたもの(カルマ)を取り除くような役割をします。したがいまして、きちんとした指導者の下で行なわないと非常に危険です。
肉体へのアプローチ
肉体へのアプローチは、幽体へアプローチを行なった上で行なう必要があります。幽体の心の衝動を放置して、表面の心をいくら変えようとしてもそれは非常に困難です。
幽体からの衝動を和らげた上で、肉体の記憶として残っている心情をいかに和らげるかは、水波霊魂学の範疇ではなく、心理学や医学の出番だと思っています。
また、今回の人生で経験した辛い出来事への対処についても同様です。例えば幼少の時にいじめられたとか理不尽なことがあって心に傷を負ったとします。その出来事が一過性のもので成人した頃には忘れてしまっていたとしても、肉体の心の深い部分にはその当時の心情は残っています。
この場合は今回の人生で抱えた心情ですので、幽体からの衝動が表面の心に影響を与えない状態にあったとしても、肉体の心に対するケアを行なわなければ何かの拍子で当時の心情が表面の心に影響を与えることもあります。
適切な自己分析が必要
心の奥の衝動をすべてカルマとしたならば、幽体の心だけではなく肉体の心も含まれます。だからカルマは複雑であって単純な因果律ではないのです。
ふだんから自分の心に湧き上がる感情や衝動を知ることはとても大切なことです。どんな場面で何を感じるのか、どんな言葉を投げかけられたりどんな態度を取られた時に、怒りを感じたり不愉快になるのかを分析することは、心が爆発しないために必要不可欠です。
しかし、湧き上がる感情の元が肉体の心なのか幽体の心なのかは分かりません。真の意味で自分の心を知るためには、肉体へのアプローチと幽体へのアプローチが両輪であることを知ることから始まるのです。