【水波霊魂学】正義という厄介な言葉(2)
さて、人がこの世で培ってきた正義は、はたして霊的世界(死後の世界)でもそのまま通じるのでしょうか?
もちろん通じるわけがありません。
それはなぜでしょうか?
それを知るには、人の一生というものを考えてみれば簡単かもしれません。
人は誰でも長くても百年くらいでこの世を去ってしまいます。
そして、死後の世界で千年、二千年あるいはそれ以上の期間を過ごすことになるのです。
ということは、人の魂の歴史全体から見れば、地上の百年などいえば幼児期にも満たないということになります。
幼児の頃にいくら正義というものを勉強したとしても、それがそのまま大人になって通じるはずはありません。
幼児はやがて大人になります。
この世での人生を終えてあの世に行ってしばらく経てば、下の世界に落ちない限り、魂として少しずつ成長していきます。
そして、「この世の正義とは、いわば幼児のあいだでのみ通用する正義にすぎない」ことを知ることになります。
例えば、ある国が核武装したとします。
はたして、これは邪悪なことでしょうか?
人には自由意志を行使するという権利があります。
人の集合体である国家にも自由意志があります。
もしも、神なる存在を本気で信仰しており、人を殺してはならないと本気で思うのであれば、爆弾の類いは今すぐにでも廃棄されるでしょう。
ですが、現実は人の自由意志はいかなる時にも神に優っていました。
これは過去も現在もこれからも変わりません。
神は存在しないのか、あるいは存在しても無関係なのか、人は自己の自由意志を行使して他人を殺します。
それを邪悪なる行為と批判する人もいますが、別の時代あるいは別の地域ではこれを正義なる行為という人もいます。
つまり、人の正義とは常に自己の理性にとっての正しさでしかなく、それを人の魂としての歴史で見た時に、その正しさはしょせん幼児にとっての正しさでしかないということを一度も考えることはありません。
そして、今この瞬間も、己の正義を貫くために他人を苦しめたり、命を奪っている人がいるのです。