【水波霊魂学】現代人と祈り(6)
水波霊魂学では人間の祈りは霊魂に届くことがあると主張しています。
神様ではなく、霊魂です。
神様にお願いしても、水波霊魂学でいうところの神のような存在(神霊)が、ふつうの人間に直接関与することはありませんので、実際には幽体を持つ霊魂に届いているのです。
さて、祈りというものを霊魂の側から見たらどうなるのでしょうか。
まず霊魂は幽体の存在であるということは何回も書いてきました。
霊魂は肉体がありませんので、幽体の目で人間を見ているということになります。
ということは、見えているのは人間の幽体です。
霊魂は肉体の目を持っていないので人間の肉体が見えるわけがありません。
よって、霊魂は人間の健康状態も肉体の脳で考えていることも何も分かっていません。
ここのところを完全に間違っている自称専門家もおられるようです。
別の言い方をすれば、ここのところが分かっていない霊能力者とかスピリチュアル専門家は『ニセモノ』です。
話を戻しまして、霊魂が人間の気持ちや感情を知ろうとすれば、『想念』というものを読み取らなければなりません。
その『想念』というものは霊魂に伝わることがあります。
ですから『祈り』というものが成立するのです。
しかし、『想念』というものが科学で証明されたという話は聞きません。
なぜなら『想念』は物質ではないからであり、霊魂に伝わるということはそれが物質ではなく『幽質』だということです。
私たちが祈るときは、何かしらの思いや感情を非言語的に表現します。
神殿の前で自分の願いを大声で叫んでいる人はいません。
心の中の思いは『想念』となって発せられるものです。
ここで大事なことがあります。
祈りの内容、すなわち願いや思いというのは肉体の脳で作り出されたものですが、『想念』というのは物質ではなく幽質です。
なぜ、肉体の脳の作り出されたものが、霊魂に届くのかということを考えてみる必要があります。
それを解くカギは自身の幽体です。
つまり、肉体の脳で作り出された願いや思いが、自身の幽体の脳を経由することによって、それが『想念』となって外に向けて発せられ、それを霊魂が察知するということです。
じつは、ここにも大きな問題が潜んでいます。
肉体の脳は自身に幽体の脳が重なっていることなど認知していません。
そして、幽体の脳も肉体の脳の考えを完全に把握しているわけでもありません。
ということは、肉体の脳で作り出された願いや思いが幽体の脳で正確に解釈されるとは限らないということです。
肉体で思っている願いが『想念』となって外に出たときに、その時点でズレが生じていることがあります。
何がどのようにズレるのかは、人それぞれ違いますので何とも言えません。
さらには、『想念』を受け取った霊魂も正確に受け取るとは限りません。
肉体の脳には主観というものがあるのは周知のことだと思いますが、幽体の脳にも主観があるようです。そして、『想念』を受け取った霊魂にも主観があります。
みかんが欲しいと願ったら、霊魂はいちごが欲しいのだなと受け取った、という程度のズレなら実害は少ないかもしれませんが、祈りの内容によってはかなりマズイことが起こる可能性もありますので周囲が必要だと思います。
私は現代の神社に何かを祈願したいとはまったく思わないのですが、もちろん強制などできませんので、初詣などで神社に出かけられる方も多いと思います。
その際には、あまり複雑なことを長々と願うのではなく簡潔にするのが良いと思われます。
<参考文献>
『霊的能力の謎』水波一郎著