【水波霊魂学】『霊的真理』というさらに困ったもの
何やら『霊的真理』という用語があるそうです。
私はこの用語を水波先生の著書で初めて知りました。
前回は『心の波長』という困った考え方について書きましたが、今回はそれに輪をかけて困ったものである『霊的真理』についてです。
そもそも、『霊的真理』がなぜ困ったものかと言いますと、私は大きく2つあると考えています。
一つは、人間が霊的世界を理解することなど不可能だということです。
なぜなら、幽質界は想像を絶するほどの広大な世界だからです。
物質界と幽質界(俗にいうあの世)との関係性を例えれば、太平洋に浮かぶピンポン玉のようなものだそうです。
もちろん、ピンポン玉が物質界です。
人間は物質宇宙の果てに何があるのかすら知りません。
ましてや物質でできていない、広大な世界が理解できるわけがありません。
そして、もう一つは、『霊的真理』というものが霊魂によって伝えられたということを主張される方がおられますが、その霊魂ですら、霊的世界のことを熟知することは不可能だということです。
人は肉体的な死を迎えますと幽質界に行くことになります。
死んだ当初は混乱するかもしれませんが、あの世での生活に慣れればある程度は自分が置かれた環境を客観的に話すことも可能でしょうし、仮に地上の霊媒と交信できるのなら自身の体験談や感想、あるいは教訓めいたことを語ることも可能でしょう。
ただ、それはあくまでもその霊魂の主観による主張にすぎません。
これだけならまだしも、決定的なことがあります。
それは幽質界にいる霊魂は神を見ることはないという事実です。
水波霊魂学では、実質的な神といえる存在は神質界という世界におり、それは神霊と呼ばれる存在です。
そして、神霊のおられる神質界と幽質界の間には霊質界という別の世界があります。
つまり、幽質界からみて神質界はまさしく隔絶した空間なのです。
霊魂であっても、住む世界が異なれば意思疎通はほぼ不可能であるばかりか、自分が神質界に出入りすることもできなければ、神霊が幽質界に下りることもでません。
よって幽質界の霊魂は誰も神霊を見たことがないのです。
ということは、幽質界の霊魂が『霊的真理』など語れるわけがないということになります。
それでは地上の世界に神霊と交信できるような素晴らしい霊媒がおられたとしたらどうでしょうか。
それでも、神霊の言葉を聴くのはあくまで肉体の脳です。
肉体の脳は物質以外のことは理解できません。
肉体の脳には限界がある以上、神霊の御心など理解できるわけがないのです。
よって、水波霊魂学では『霊的真理』という用語は使用しませんし、むしろこんな言葉に騙されてはいけないという立場です。
最後に、水波先生の著書から引用して締めたいと思います。
限定された意識で『霊的な真理』とまで口にする時、その傲慢さはとうてい高級霊魂を近づけるものではない。
そこまで自惚れたら救いはない。その人たちがいくら善行をしたつもりになったとしても、結局、下の世界で神を恨むことになる。
『霊的生命体として』水波一郎著より