【水波霊魂学】現代人と祈り(2)
仮に神社に本物の神様がいたとします。
そこにいろいろな人やって来て、いろいろな願いをします。
それが家内安全とか無病息災であればまだしも、合格祈願や縁結びだった場合、神様はどうされるでしょうか。
当然、『既読スルー』ならぬ『既聴スルー』です。
なぜなら、家内安全や無病息災は個人的な問題であり基本的に他人に迷惑をかけることはありませんが、合格祈願のたぐいは誰かが笑えば誰かが泣きます。
そんな願いを本物の神様が叶えるはずがありません。
ところが、最近の神社は合格祈願だの商売繁盛だの、ご利益を前面に押し出して商売しています。
神社がそんな看板を上げれば、その願いを叶えてほしい人がたくさん集まります。
人が集まれば、その場所の霊的環境は必ず悪くなります。
それでも、神主さんがきちんと施設一式を毎日お祓いして、神殿に高い気を下す儀式を行い、それに効果があるのならば、本物の神様は無理でも、その神様に連なる高級な霊魂がその場所にいることは可能だと思います。
問題はこの21世紀の日本にそのような神社がどれだけ残っているかですが、残念ながらほぼ全滅しているそうです。
神社の霊的環境の悪化により、高級な霊魂は神社に居たくても居れない状況となり、その代わりに自称神様を名乗る霊魂が占拠するようになりました。
人間はそんなことは露知らず、昔からの慣習にしたがって初詣や七五三参りなどで参拝に出かけますが、そこには高い気はもはやありませんので、真剣に祈りを捧げたとしても高級な霊魂には届くことはありません。
それだけならお賽銭を損したくらいで済むのですが、運の悪い人はそれだけでは済まないことがあります。
<参考文献>
『たましいの救い』水波一郎著