殺すということ (後) ~地上の世界と霊的世界の違い

殺すということ

 

「人を」 殺すということ

 

大変残念なことに今日も誰かがどこかで殺されています。

 

なぜ人は殺したり、殺されたりするのでしょうか?

 

その原因を考えればさまざまなことが言えると思いますが、霊的な理由としては人は誰でも自由意思があって、神や高貴な霊魂はそれを最大限に尊重しているからです。

 

殺す自由、殺される自由・・・?。

 

こんなことを言いますと、「そんなものが自由なんてありえない」と反発される方もおられるでしょうし、そもそも殺人行為に自由というワードを使うことに違和感を抱く方もおられるかもしれません。

 

確かにそうかもしれませんが、ここで言いたいことは、地上の世界での人間の行動に高貴な存在は何ら干渉しないということなのです。映画やドラマで登場人物が何の過失もない人が無慈悲に殺されるのを見て神はいないと嘆く場面がありますが、神がいないのではなくて神は人間に干渉しないわけです。

 

仮に人が殺したり殺される自由を霊的世界の高貴な存在が制限したらどうなるのかと言えば、それは人間の脳が大きな制限を受けるということです。

 

人間の行動のすべての決定権は「脳」にあります。高貴な存在は今のところ、人間の脳が下す決定に干渉しませんが、もしも彼らが脳の自由なる活動を否定してもいいのならば、殺人は今すぐになくなります。

 

高貴な存在に対して、「誰も殺されないようにして下さい」、「誰かを殺そうと思ったら止めて欲しい」といった願いをしてそれが叶うということは、人間の脳の自由な活動を否定することでもあります。

 

「人間の行動は神の自由にお任せします。人類には意思はいりません、すべてお任せします。」ということなら、人殺しは決して起きません。

 

ですが、結局はこれらの存在が人間の脳の下す決定を制限したり覆したりすることはありません。これはいちばん最初に人間の霊魂が神に求めたことであり、それを神が受け入れたことなのです。

 

したがいまして、明日もどこかで人は殺されます。それは人間の自由意思の行使にすぎません。

 

スポンサーリンク

殺したらどうなるのか

 

人を殺せば法律によって罰せられます。国によって罰の内容には差がありますが、人を殺しても何の罪も科されない国は私が知る限り存在しません。戦争といった特殊な状況でも起こらない限り、人を殺せば罪となるのがこの世のルールです。

 

それでは霊的に殺人は罪なのかという問題があります。もしも霊的にも殺人は罪ならば、この世で罪を償ったのに他界後にもう一度裁かれるということになります。

 

結論から言えば殺人は直ちに霊的な罪にはならないのですが、だからといってその行為が自身に何の害もないということではありません。もちろんこれは個別の状況によります。詳しくは次項で述べますが特に現代はとても複雑になっています。

 

 

人を殺したことによって降りかかる霊的な不幸

 

さて、人を殺したらどうなるのでしょうか?
霊的に罪がなかったとしても、霊的に不幸になる場合があります。

 

ここで大切なことは、霊的な罪と霊的な不幸は別だということです。霊的な罪はなくても霊的に不幸になることはあるということです。

 

ここでいう霊的な不幸とは何かと言いますと、死後にいく世界がたいへん辛い場所だということです。

 

殺人に神や高貴な霊魂が罰を下すわけではありません。人を殺した結果、自身の霊的身体が不調になることがあります。

 

仮に相手を刃物で刺した場合、相手の血が飛び散りますが、同時に間気(かんき)と呼ばれる気も飛び散ります。これが刺した人に付着したり吸い込んだりします。

 

この時、刺した人の幽体はどうなるといいますと、刺された人の間気によっていわゆる霊的障害を起こした状態となります。当然ながら他界後はいわゆる辛い世界に行ってしまいます。
これは刺したことによって相手の間気が入ったからであって、これは霊的世界の法則に過ぎません。

 

さきほど、現代はとても複雑になっていると書きましたが、それは大きく2つの要因があります。

 

一つは人を殺す道具がたくさんできたこと、もう一つは守護霊が開店休業になっていることです。人を殺す道具は残念ながらどんどん進歩しています。遠距離から殺せば相手の間気を吸い込んで霊的な不調になることもありません。殺された人も誰に殺されたのか分からないので念を浴びることもありません。

 

さらに困ったことに、現代の人達は信仰心が薄くなってしまったのと地上の霊的環境の悪化によって守護霊や補助の霊魂といった上の世界の霊魂からまったく見えない人達が増えています。上の世界の霊魂と霊的な交流がある人であれば、殺された本人は犯人が分からなくても守護霊には分かっています。そして殺した人の守護霊にその事実を告げます。その結果殺した人がどうなるのかは一概には言えませんが場合によっては霊的な罪を背負うことになるかもしれません。

 

現代の人達は自身の自由意思によって守護霊と繋がることを望んでいない人がほとんどです。平和なこの国では大多数の人達は殺されることはなく病気や老衰が原因で他界することになると思われます。

 

そう言う意味では、殺したり殺されたりすることをあまり意識する必要はないかもしれませんが、霊的な不幸は様々な要因で起こりうるものですので、霊的なことを正しく知ることは大切なのです。