心を救う方法は一人一人で決めるしかない
個人にとっての『救い』とは、各人の主観的な要素です。
わかりやすい例で言えば、お医者さんです。
重い病気になって暗澹たる気持ちになっていたものが、治療によって日常生活を取り戻せたのならば、その人にとってお医者さんはまさしく『救い』です。
このように医学は、客観的に評価することができます。
それに対して、精神的な分野、特に心に対する『救い』というのは難しいです。
精神疾患に対する医学的治療は発展を続けていますが、客観性という観点から見ればまだまだ不十分だと言えるでしょう。
なぜなら、心の問題は疾病性がなくても幸せや不幸という心情の問題があるからです。
たとえ他人がうらやむような環境にいたとしても、当人が「自分は不幸だ」と思っていればそれは不幸だということです。
よって、心の問題は主観的な問題ということになります。
それでは、心を救うにはどうすればいいのでしょうか。
答えは単純明快です。
それは、幸不幸は個人の主観の問題である以上、自分に合った方法を探すしかないということです。
先ほどのお医者さんに例えれば、誤診は別として、風邪ならば処方される薬もそんなにブレはないでしょうし、私たちもビタミンCを補給するとか十分な睡眠が必要などという知識もある程度持っています。
一方、心の救いの場合はそうはいきません。
仮に、「この水を飲めば心の救いになります」と言われたところで、何の客観的な情報もなければ根拠も分かりません。それは瞑想であろうと座禅であろうと同じです。
ある人にとっては救いになるかもしれませんが、ある人にとっては何の効果もないかもしれません。
心を救う道は、一人一人が進むべき道を判断するしかないのです。