『 人生の勝者 』という摩訶不思議なことば
人生の勝者 という摩訶不思議なことば
人生の勝者という言葉があります。
これはとても曖昧でかつ無意味な言葉に感じるのですが、本やネットなどに人生の勝利者になる方法なるものが散見されますので、これに意味を感じる方もおられるということなのでしょう。
私は瞬間の勝者というのは存在すると思います。勝負の世界に生きている方はもちろんのこと、サラリーマンであっても昇進であったり受注競争に勝てば、その瞬間は確かに勝者なのかもしれません。
しかし、人生というのは順風の時もあれば逆風の時もあって、そのたびに勝ち負けを意識していては心が安定しないと思われます。さらに、人の価値観は多種多様であり、勝ち負けの基準も違います。
ある人はマイホームを手に入れてそこそこの収入を得られれば充分満足なのかもしれませんし、ある人は副社長にはなれましたが社長にはなれなかったということで不満でいっぱいかもしれません。
人生の勝者というのであれば、「一生をふり返って自分の理想と現実の差がどうだったか」がテーマになるわけで、そんなことは他界した後でないと評価できないと思うのですが、単に勝ち負けを意識したいのか、他人に対して優越感を感じたいのか、何なのかは分かりませんが拘りを持っていたい人がおられるのは確かなようです。
人間はこの世に生まれる前からすでに存在している
過去の記事にも書きましたが、人はこの世界で生きていたことがすべてなのであれば、死ぬ寸前にでも振り返れば何らかの評価は得られるかもしれません。
しかしながら、人の人生はこの世界だけでは終わりません。私たちはこの世に生まれる前からずっと存在していましたし、この世での生活を終えた後もずっと存在していく存在です。
生まれる前から存在していたということは、この世に赤ちゃんとして生まれる以前からその人にはある評価がなされているということです。
これを簡単に言えば、人はこの世での人生を何回も経験してきています。水波霊魂学では「生まれ変わり」という用語は使用しませんし、一般に言われている生まれ変わりの概念は間違っていると主張しています。
生まれ変わりについてはこれ以上触れませんが、いずれにしましても人間はこの世での人生を過去に何回も経験しているということです。
21世紀の日本は完ぺきではないにせよ、人権意識や法の下の平等という意識は人々の間にかなりの程度は認識されていると思います。しかし、500年前の世界や1000年前の世界はどうだったでしょうか?
王様や貴族は奴隷の人権を考慮していたでしょうか?
いとも容易く戦争を起こしてたくさんの人が命を落としたり財産を失ったりすることに為政者がどれほど気にかけていたでしょうか?
私たちは、過去のそういう時代にもこの世を生きていたわけです。戦争に巻き込まれて人生がめちゃくちゃになったこともあったでしょうし、逆に他人の財産や生命を奪った人生もあったかもしれません。
過去にどういう時代を生きて、どういう目に遭ったのかは人によって異なりますが、過去に人を殺した人生があっても逆に殺された人生があっても何の不思議もありません。
私たちはこれらの過去での人生に味わった心情を心の奥に眠らせたまま、再びこの世に生まれてきているのです。そして、これらの心情は今回の人生でも必ず目を覚ます時がやってきます。その時に何の対策もしなければ、これらの心情に振り回されることになってしまうのです。
過去の人生の心情に振り回される
ここで少し物騒なたとえ話をします。
仮にある人の過去に生きた人生の中に、人の血を見て快感を覚えるということがあったとします。戦争で兵士になったのですが、最初は恐怖でしたが敵を斃しているうちに次第に殺すだけではなく、血を見ることに快感を感じてきました。
こういう過去を持っている人が現代日本のような平和な国に生まれてきたらどうなるでしょうか?
過去の心情は必ず目を覚ます時が来ますが、最初のうちは心が乱れてイライラするようになって、人とトラブルになった時に手が出るようになりました。周囲の人は乱暴な人だと思うようになりましたが、本人は自分が乱暴者だとは思っていません。ただ心がイライラしてそのうっ憤を晴らすように他人を殴っていただけでした。
しかし、ある時、喧嘩になって他人が血を流して倒れているのを見た時に、心に変化が現れます。その人は相手が出血するような殴り方になりました。そして、血を流して倒れている相手を見て気分がすっきりするようになりました。
さて、この人の末路が殺人者となって刑務所行きになるかどうかはその人の生まれ育った環境次第です。仮に格闘技に目覚めればそちらの世界でチャンピオンになるかもしれません。これは精神分析でいう「昇華」という防衛機制に近いかもしれません。しかし、ある人はそういう機会がなかったために殺人者になってしまうかもしれません。
魂の歴史から見れば、大半の人は人生の敗者になる
いささか物騒なたとえ話でしたが、ここまで極端ではないにせよ、私たちは過去に何回もこの世での人生を経験していますので、仮に過去の人生で人に騙されて財産を失ってしまい、信用した自分が馬鹿だったという思いをしたのであれば、今回の人生は他人を信用できないという心情が浮いてくる可能性がありますし、理不尽ことで苦悩した過去を持っている人であれば、今回の人生で理不尽なことに対して敏感に反応しすぎて失敗する可能性があります。
このように、何の対策もしなければ過去の人生の影響をもろに受けてしまうわけですし、今回の人生で培った価値観や周囲の環境というものが複雑に絡み合いますので、何か良いことがあったから自分は人生の勝者だとか、困ったことがあったから敗者などと単純に決められないのです。
この世に生まれてきてしまったからには、これまでの負の遺産を軽くすることが第一なのです。そうしないと、負の遺産がさらに積み重なった状態となって再びこの世に生まれてきてしまうことになります。
人間の一生は、地上の世界だけで完結するのではありません。私たちは過去に何回もこの世に生まれてきているということは、みんな負の遺産を持っているということです。これを少しでも軽減するための道を求めることが一番大切なのであり、無理にでも勝者や敗者を決めるのであれば、「負の遺産を清算してもう二度と地上の世界に生まれる必要がなくなった人」だけが勝者と言えるかもしれません。
したがいまして、肉体の本能は「生きる」ことがすべてなのですから、私たちがこの世での人生をどれだけ美化したところで、魂全体として進歩も向上もしなければ今回の人生は本能にしたがって「ただ生きただけ」で、霊的には何の価値もないということになります。
人生の勝者とか敗者を考えたいのであれば、魂全体としての一生を見据えたものにしたいものです。