人が生まれた過程 ~ 不幸の連鎖 の始まり

不幸の連鎖

 

 

地上に人間の霊魂が下りるまで

 

至上の神は、先に人間を造られたのではなく、神々を誕生させられた。そして、神々は上級の霊魂を誕生させられた。

水波一郎著 「神体」 第17章 誕生の秘密

 

私の霊魂学の師である水波一郎先生は著書「神体」の中で人間がなぜ地上の世界に誕生することになったのかについて詳しく触れられています。

 
宇宙論におけるビッグバン仮説では、宇宙の始まりはおよそ138億年前だそうですが、仮にこれが物質界の始まりだとしても、上記の一節は、それよりも遥か昔に起こった出来事です。

 
「至上の神」とはどういう存在なのか?なぜ神々(神霊)を誕生させられたのか?といった疑問が浮かびますが、残念ながら私の拙い知識では全く分かりません。

 
じつは水波霊魂学でも「至上の神」や「神霊」については、主たるテーマとなることはほとんどありません。なぜなら、人間の脳では理解不能だからです。

 
同じ地上の世界に住んでいながらも、蟻が人間を理解することさえ不可能なのに、住む世界が全く異なる存在を理解しようといくら頑張ってもそれは不可能だということです。

 
さて、神々が上級の霊魂を誕生させられたのですが、霊魂の個性によってさまざまな主張が生まれ、詳しい経過は割愛しますが、新しい霊魂の世界が造られることになりました。これが水波霊魂学で言う「幽質の世界」です。

 
「幽質の世界」に誕生した新しい霊魂は、とても自由な世界でした。この世界の特徴は「強い思いが現実化する」ことですので、何不自由なく暮らすことができました。しかし、ここで暮らす霊魂達はやがて自由であることに飽きてしまうのです。そして、ここでも紆余曲折があるのですが、結局は物質の世界が造られるに至りました。

 
幽質界に暮らす霊魂達のうち、地上の世界に下りることを望んだ者たちは、ここでじっと待つことになります。何を待っているのかと言えば、自分たちが入るに足る動物の出現を待っていたのです。

 
先程のビッグバン仮説が正しいのならば、地上の時間で138億年も待っていたことになります。ただ、地上の世界の時間と幽質の世界の時間は等しいわけではありませんので、実際の時間的感覚は異なりますが、いずれにしましても幽質界の霊魂達は現生人類が現れて、自分たちがその中に入ることができるタイミングまでじっと待っていたことだけは確かです。

 
そして、地上の世界の時間軸で言いますと、約1万年前に幽質界の霊魂は地上の人類の中に入っていくことになります。生物学的には一万年前の人類と二万年前の人類は同じホモ・サピエンスという分類になりますが、霊魂学では全く異なる生命体ということになります。

 

 

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自由意思を行使したがゆえの『 不幸の連鎖 』

 
幽質界の霊魂が物質の世界に下りることを望んだ時、上級霊魂は反対の立場でした。なぜなら、物質の世界に下りれば必ず後悔することになることが最初から分かっていたからです。

 
幽質界の霊魂は、自由に飽きてしまったから物質の世界を望みました。これは不自由を望んだということであり、物質の世界を支配したいという欲望です。上級の霊魂は反対しましたが、幽質界の霊魂は自由という至上の神から与えられた権利を主張しました。彼らの自由意思は上級の霊魂であっても無視できませんので、結局は幽質界の霊魂の意思が勝ってしまい、彼らは地上の世界に下りることになったのでした。

 
自由な世界に住んでいた幽質界の霊魂は、地上の世界にいた現生人類の中に入り込んだことで、不自由を経験することになりました。これまで食べることも寝ることも必要なかったのに、肉体にとってこれらは不可欠でした。また、食物を得るためには他の動物を捕まえなければなりませんし、病気や怪我をすれば痛みや苦しみに耐えなければなりません。そして、肉体は必ず死を迎えますので、その恐怖とも闘わなければならなくなりました。

 
やがて地上の世界には貧富の差が生まれます。そして、強い者が弱い者を支配するようになります。地上の世界に生きている間に多くの苦しみを抱えて、幽質界に戻ってくる者がたくさん出るようになり、幽質界はどんどん複雑に変化していきました。

 
同様に地上の世界も複雑な変化をして、価値観が多様化していきました。人間が生殖行為をすれば幽質界の霊魂の一部が肉体の中に入るという法則はずっと続いていますので、この世に生まれて来たすべての人は、何回もこの世に生まれては死ぬということを繰り返すようになりました。

 
ある人生では誰かを殺したり、別の人生では誰かに殺されたりしていても何の不思議もありません。それらの人生で受けた苦悩を抱え込んでいる幽体の意識は、今回の人生でもこれらの苦悩を思い出して苦しむことになります。肉体の脳は一回きりの使い捨てのようなものですので、これらの出来事を全く知りませんが、何かのきっかけで心の深い部分にある幽体の意識が大きく騒ぎますと、やがて表面の心に影響を与えることになります。

 
「そんな昔のことなど知らないから、私は無関係だ」

「私はこの世に生まれることを望んだわけではない」

「過去の人生が今回の人生に悪い影響を与えるなんて不条理だ」

 
私も「なるほどごもっとも」と言いたいのですが、最初に地上に下りることを望んだのは私たちです。上級の霊魂は制止しようとしたのに、自由意思を行使したわけです。

 
私たちの肉体に重なっている幽体は、最初に地上に下りた霊魂の分身とも言える存在ですので、肉体の脳は納得できなくても仕方がありませんが、霊魂としての歴史は1本の糸のようにずっと昔から続いていますので、神々や上級の霊魂から見れば、「私は知らない」は通用しないのです。

 
自由意思で地上に下りた霊魂は、時間に縛られる不自由、肉体の制約の不自由、格差の不自由を自ら選択してしまったために、時間が経てば経つほど不幸な個性が増えていく結果になりました。今さら悔やんでも仕方がありませんので、この世を如何に生きるかを個々人が真剣に考えていくしかありません。

 

 

進化論と創造論

 
ダーウィンの進化論では、人間はサルから進化したと言われています。しかし、これに真っ向から異を唱える人たちもいます。彼らは人間は神によって創造されたと主張しています。

 
進化論と創造論のどちらが正しいのかは別として、人間という生命体を肉体と幽体という観点から見れば、仮に肉体はサルから進化したとしても、幽体は最初から人間のままです。

 
人間の霊魂(幽体)は最初から人間ですし、地上の世界に下りる時も常に現生人類の肉体にしか入り得ません。前世はカエルとかトンボなどということはあり得ません。

 
大切なのは、人間は肉体だけの存在ではないということです。人の心は肉体の脳だけではなく幽体の脳をも含めたものですので、自分のことが分からなくても当然なのです。

 
人間は地上の世界を支配していますが、同時に抱える苦悩も増え続けています。他界してもその苦悩は簡単に消えることはありませんし、何かの拍子でまたこの世に生まれてきてしまったら、これまでの苦悩を抱え込んだ上に、さらに新たな苦悩を積み上げる結果になります。

 
この不幸の連鎖は、幽質界にいた人間の霊魂が、地上の現生人類に入り込んだ時から始まりました。それは神々の感知するところではありません。地上の男女が生殖行為をすれば幽質界にいる霊魂の一部がそこに入り込みますので、人間は勝手に生まれて勝手に死んでいるわけです。そこに神々の意思はありません。

 
したがいまして、地上の世界の不幸は地上にいる人間が解決していくことが大前提になります。都合の良い時に何かしてくれる神様などいるわけがありません。

 
私たちは元を辿れば、上級の霊魂に繋がっているのは間違いありませんが、だからといってその意識が意識の底に沈んだままでは何の意味もありません。上級の霊魂が持つ高貴な意識は神々に向いていますので、それを少しでも呼び覚ましたいのであれば信仰心を持つ以外に方法はありません。

 
現代は宗教への嫌悪感が凄まじいので信仰心を持つのがとても難しい時代になりましたが、信仰心は科学から得ることはできず、唯一宗教を通じてしか得られません。特定の宗教の良し悪しは別としても何かしらの一歩を踏み出さなければ何も得ることはできませんし、不幸の連鎖を断ち切ることもできないのです。