生きるためにいちばん大切なのは『 直感 』
すべての思考は『 直感 』からはじまる
人は子供から大人へ成長するにしたがい、「理性」というものを身につけます。哲学的な意味はさておき、一般的には以下の意味で用いられます。
りせい【理性】
本能や感情に支配されず、道理に基づいて思考し判断する能力。
(明鏡国語辞典)
つまり、人間は成功や失敗の経験を積めば積むほどそれを知識として身につける存在であり、そういう意味では人間は理性にどんどん縛られていく存在とも言えます。
しかし、私たちは日常生活で起こるすべての出来事に対して、すべて理性で対処しているわけではありません。
たいていの場合は「直感」が先に来ます。そして、その「直感」に対して論理的な思考を加えています。
まずは意識するしないにかかわらず、直感が働きます。その上でその直感に対して理性が働きます。そしてそれに思考が加わって、最後に感情が働きます。
例えば、職場で上司に「ちょっと話がある」と言われたとき、まずピンときます。それに対して普通は理性が働いてどのような場合であっても最終的に自分にとって利益になることは何かを判断します。そして具体的にどのように行動すればいいのかを思考して、最後に感情をコントロールするのです。
これが幼稚園くらいの子供であれば、親に「ちょっと来なさい」と言われたとき、ピンとくるまでは同じですが、理性が未発達ですので、理性と思考はすっ飛ばしていきなり感情がドンと前に来ます。
ピンと来た内容が、怒られると感じたのなら嫌がりますし、褒められると感じたのならば喜んでやって来ます。
しかし、大人はそうはいきません。理性がありますので駄々をこねたり泣きわめくことはもとより、嬉しいからといってガッツポーズしながら上司の面前には立てないのです。
それに、直感が当たっているとは限りません。昇進の内示かと思ったら、ただの業務連絡だったということもあり得ます。
大人は理性に縛られて生きています。これは社会的慣習にも大きく影響しますので、特に日本人は顕著かもしれません。
『 直感 』は山勘ではない
直感というのは、大人になりますとかなり軽視されます。
「なんとなく、嫌な予感がする」、「こうなるような気がする」などと言って行動すれば、「思考力がないのか」とか、「勘に頼って生きているのか」と軽蔑されるかもしれません。
しかし、それでも直感は大切なものです。直感が鈍っていると正しい判断が下せないことがあります。
理性は道理に基づいて判断する能力ですが、人は自分の人生で学んだことを前提にしてしか物事を判断出来ない以上、自分の殻を破る努力をしない限り、自分の限界の範囲内しか見えないのです。
直感とは、いわゆる「山勘」のことではありません。自分の殻を破るための力です。
それは、自分がしてきた試行錯誤の積み重ねの結果として現れることもありますし、霊的な視点で言えば霊的意識の高い霊魂との交流をする中でもたらされる力でもあります。
霊的視点から見た『 直感 』の重要性
人間はまず直感を磨くことを最優先にし、次に思考力をつけ、その上で感情をある程度コントロールできるようになることが、心の成長に繋がります。
なぜならば、理性を如何に発達させたところで、荒く激しい感情には敗れてしまうからです。しかし、その感情もなくしてはいけません。それが人間の心を構成する重要な要素だからです。
極端に自分の心を責めつければ、必ず感情が表面に吹き出してくることになります。かと言って、あまりにも怠惰な生活を送るっていますと、今度は理性が感情に対して「自分を責めよ」と要求するようになります。
思考は常に理性と感情から独立したいと願っています。ところが、結局、いつも両者によって縛られてしまう悲しい存在です。
霊的に言えば、地上の人間には自由な思考というものはありません。
なぜなら、思考する前に感情が動いてしまい、思考の内容を理性が決めてしまいます。そして、正しい直感を理性と思考が歪めてしまいます。
その結果、感情は元のものとは違う偽りの直感を正当に受けたものであると主張するのです。
したがいまして、正しい直感を磨くことということは、理性と思考、感情がこれを歪めることがないようにする、これが非常に大事なことなのです。