『 先が見えない 』不安と『先が見えすぎる』不安

先が見えない

 

 

青年期の苦悩= 先が見えない 不安

 
シンガーソングライターの浜田省吾さんが1986年に発表した名曲『J.BOY』の歌詞に『頼りなく豊かなこの国に 何を賭け 何を夢見よう』という一節があります。

 
この作品が発表された頃の日本は、バブルが始まる直前でした。当時、私は学生でしたがこれから就職を控えて、先が見えない漠然な不安の中で暮らしていたように記憶しています。

 
いわゆる青年期といわれるこの時期は、『自分はいったい何者なのか』、『これからどこに向かって進んでいけばいいのか』といった悩みを抱える人が少なくありません。

 
この人生の前半に訪れる苦悩は、先が見えない未来を生きるための迷いであり悩みが多いのではないかと思います。しかし、この時期に差し掛かった人たちの特徴として、苦悩ばかりではなく夢もあるということが言えます。先が見えないという不安はあるけれども、自分には夢や目標があるので、とりあえずそれを実現するための道を歩んでいれば何とかなるのではないかという淡い期待も心の中に同居しているように思えます。

 
青年期で苦悩を抱えた場合は、現実と理想が共存していれば意外と心が潰れることは少ないのかもしれません。

 

 

スポンサーリンク

中年期以降の苦悩= 先が見えてしまう 不安

 
青年期の苦悩は先が見えない不安ですが、同時に夢や目標があってそれに向かって進んでいくことができれば、自分というものを見失うことなく過ごしていける可能性がありますが、中年期に差し掛かりますと、かなり事情が変わってきます。

 
それは、だいたい先が見えてきて、高望みをしても仕方がないと、現実ばかりに目が行ってしまうことです。

 
もちろん、個人差はありますので、全ての人が青年期と中年期にこのような苦悩を抱くわけではありません。

 
しかし、齢を重ねていきますと理想と現実は違うということを何回も経験しています。若い頃のような夢を見ることはできなくなりますし、老齢になりますと死という現実が目の前に迫ってきます。

 
また、経済的な理由で生活が不安定だったり、健康問題に関してもそれらはいずれも『現実』であり、いまさらどうにかなるものでもありません。

 
中年期以降の苦悩は、先が見えすぎる不安から来ることが多いと思われます。そして、それに日常で起こるさまざまな問題、特に職場や家庭での人間関係に不満があったり対立していたりしますと、心の逃げ道がなくなってしまいます。その結果、イライラする人はさらにイライラしますし、心が疲れる人はどんどん疲れていってしまうわけです。

 

 

不安への処方箋

 
かといいまして、その状態に何の対策もしないと心はどんどん追い詰められてしまい、ある人は外部に向けて爆発し、ある人は内部に向かって自ら命を絶つということになりかねません。

 
したがいまして、苦悩を抱えている心を何とかして楽にしなければなりません。そうしないと生きられないからです。

 
ここで大切なことは、『人の心は硬直しているものだ』ということを知るということです。ここでは人間関係を例に考えてみます。

 
仮に嫌な人間がいたとして、そうした人が次の日に突然良い人になることは有り得ません。その人の心はその人だけのものですので誰も干渉することはできません。

 
では自分のほうが心を切り替えて今日から生まれ変わろうと考えたとしても、2~3日もしないうちに元に戻るのが関の山です。長年の生活で付いた癖や性格がそう簡単に変わるわけがありません。

 
そのために、いくら自分が嫌いな相手とうまくやりたいと願ったとしましても、相手がその気にならなければ関係が改善することはとても難しいことなのです。

 
相手を嫌ってしまいますと、その人に向かって水波霊魂学でいう『念』が相手に飛んできます。肉体の脳は飛ばした側も飛ばされた側も何も分かりませんが、相手の幽体は『念』が命中すれば分かりますので、いずれその念に呼応して、相手も自分を嫌ってしまうことになります。

 
そのために、人間関係は更に悪くなってしまいます。

 
したがいまして、人間関係においては感情的になるのではなく、どこかで割り切ることで対処するしかありません。

 
そのために、まず行なうことは現実をしっかり見つめることです。自分と相手の関係や周囲との関係を注意深く観察します。嫌いな相手を思えば怒りも沸くのは当然ですし、自分には好き嫌いもあります。であれば、それを駄目だと拒絶してしまえば、ますます自分を追い込んでしまうことになります。

 
ですので、『自分はそんなものだ』と割り切ることが重要となります。なるべくイライラしないほうが良いし、怒らない方が良いのですが、現実は厳しいです。

 
他人を変えることは困難ですので、そこで別の視点で自分を見つめます。

 
つまり、『そんな自分でも仕方がない。これが私だ。』と考えて、心を楽にします。

 
一朝一夕で心境が変化することはありませんので、少し練習が必要かもしれません。毎日少しずつでもいいので、こんな自分を認める、こんな自分を許す(自分で罰しない)ということを実践していくことが、心が少しずつ楽になっていくと思われます。

 
その上で、過去の記事でも書きましたが、愚痴や不満、怒りを吐き出すのは一人でいる時に行なうことが大切です。

 
この世を生きることは苦悩の連続です。くれぐれも自分の心を潰してしまうことがないようにすることが何にも増して最優先事項なのです。