【水波霊魂学】私が考える「他界後下の世界に落ちますよ」が脅迫ではない理由
私たちが住んでいる地球は物質界です。
物質界は宇宙空間をも含めた世界ですので大きな空間なのですが、幽質界はそれよりもはるかに広大な空間です。
物質界というのは、幽質界という広大な空間に浮かんでいる一個のピンポン玉のようなものです。
さて、幽質界という空間には霊的な環境によって階層ができています。
仮に霊的環境が良い世界を上の世界、霊的環境が悪い世界を下の世界だと表現すると、まるで階層はこの2つで境界できちんと区分されているように思われてしまうかもしれません。
実際はそんなことはないようで、ここではあえてかなり乱暴な書き方をしますが、幽質界という空間の上下を見て、上でも下でもない高さを0だとすると、それより上は+1、+2となり、下はー1、-2となっていると考えてみるとします。
ところで、物質界というピンポン玉がどのあたりに浮いているのでしょう?
それによってある基準が生まれます。
それは、物質界にいる間に霊的な準備を何もしなかった人が他界したときに行きやすい場所です。
仮にピンポン玉が+5のあたりに浮かんでいるとしますと、霊的な意味で可もなく不可もなく生きていれば他界後は+5あたりの場所に行きやすく、反対に-5あたりですと何もせずに他界するとー5あたりに行きやすいということです。
何回も書きますが、当然、幽質界にそんな目盛りはありませんし、どこが0だとかいう絶対的な基準があるかどうかもわかりませんが、何かを基準にしないとただでさえ分からないことがもっと分からなくなりますので、しかたなく簡単に表現しています。
もちろん、一人ひとりの霊的状況によって異なる面もありますし、簡単に説明するためにかなり乱暴な例えをしていますので、これが水波霊魂学の公式的な見解というわけではありません。
ただ、物質界というピンポン玉が+5のあたりを維持するためにはどうすれば良いのかということを考えることは無駄ではありません。
物質界の霊的環境というのは人間が変化させてしまいます。
人々に神に対する信仰心があって、神社仏閣などの宗教施設に高い気が下りていれば、そこに暮らす人は普通に日常生活を送り、たまに神社のお祭りに参加したりお参りに行けば、高い気を自然に吸い込むことができます。
それによって、自身の幽体の健康を保つことができますので、何か特別なことをしなくても他界後は+5あたりの場所で落ち着くことができます。
それは、幽質界から見ればはっきり上の世界とは言えないまでも、少なくとも下の世界ではないことは確かです。
それでは現代はどうでしょうか?
昔の人と同じくらい、神に対する信仰心を持ち続けている人がどれだけいるでしょうか。
お祭りや参拝で神社を訪れる人の中で、自身の御利益ではなく神様の役に立ちたいと祈っている人がどれだけいるでしょうか。
そもそも、高い気をおろし得る施設が残っているのでしょうか。
この世界から人々の信仰心がなくなり高い気をおろす場所も消えればどうなるかなど自明の理です。
ピンポン玉の霊的状況が悪化して下に落ちていくということです。
仮に-5のあたりにピンポン玉が落ちてしまったとすれば、たとえ昔の人と同じようにしていても他界後は-5あたりの世界に行きやすいということです。
『現代の人は普通に生きれば死後は下の世界に落ちます』といえば、脅迫だと言われるかもしれませんが、死んでから気づいては手遅れになるかもしれないから、お節介かもしれませんがここに書いているわけです。
高い気をおろす場所が消えてしまったということは、誰かが高い気をおろせばいいと思われるかもしれませんが、いったん消えたものを再びおろすことは簡単ではありませんし、そもそも適当な場所がありません。
神社に行って、「ここは高い気がおりるどころか、低い気で覆われていますよ」などと言っても、何やらおかしな奴が言いがかりとつけてきたと警察を呼ばれて終わりです。
ということは、個人でやるしかないということになります。
一人で高い気をおろすことは困難ですが、まずは自身の幽体の健全化を図ることはできます。
それがまず一歩です。