自分のことは自分が一番知っている?
ジョハリの窓
心理学に詳しい方は「ジョハリの窓」をご存知だと思います。
ジョハリの窓は、自分にも他人にも見えている「わたし」、自分は見えている他人には隠された「わたし」、自分は見えていないが他人からは見えている「わたし」、自他ともに見えていない「わたし」の4つがあると考えます。
これは円滑なコミュニケーションを計ることに重点を置いていますが、心の問題に関しても同じようなことが言えます。
心には、自分は分かっているけれども他人には分からない部分があります。これを「表面の意識(肉体の意識)」とします。
次に、自分にも他人にも分からない部分があります。これを「深層の意識」とします。これはさらに、生まれてから経験したことで今は忘れている部分(肉体の意識)と、幽体の意識に分かれます。
最後に、自分は分からないけれども他人には分かっている部分があります。これは心の部分ではありませんが、人生を送っていく上ではとても重要な部分です。仮に名前を付けるとしたら、「評価」でしょうか。
<参考:ジョハリの窓(ウィキペディア)>
自分のことは自分が一番知っているとは限らない
自分は親切な人間だと思っていても、他人はまったく違う評価をしていることは日常茶飯事です。
自分が他人から冷淡だと評価されているのを知ると少なからずショックを受けますが、なぜそのようなことが起こるのかを冷静に考えてみる必要があります。
一人ひとりには当然のことながら個性があります。生育環境も違えば価値観も異なります。そうなると、同じものを見ていてもそれについての感じ方も違ってしまいます。
自分は冗談のつもりで言ったことでもある相手は深く傷ついていることがあります。傷ついた人は間違っても親切な人だと評価しません。
また、傷つけるようなことを言ったことがなく、たまに食事をご馳走している相手には、親切な人とか良い人だと評価されるでしょう。
つまり、人生全体における対人関係は、違う個性を持った不特定多数の人との交わりです。ある場面では嫌われるかもしれませんし、ある場面では好かれるかもしれません。
他人の評価とは、その人の目線による「評価」ですから、自分のことを正しく見ているとは限りません。
勘違いや誤解もあります。
それでも、自分を嫌った人が誰かによって、人生を左右されることもあります。
「自分のことは自分が一番知っている。」
そう思う方は多いと思いますが、案外そうではないのかもしれません。
周囲が自分のことをどう評価しているのかを冷静に分析する必要があります。